普段暮らしている街の景色に、何故だか惹き付けられてしまった経験はないだろうか。
今回は何気ない街の姿を撮り続けている友人のmariaちゃんに、3年ほど続けているストリートスナップ活動について色々聞いてみた。
skinsでも記事を書いてくれている▶︎彼女だが、どんなきっかけで街を撮り始め、その写真の裏にはどんな思いが込められているのだろうか。
多様なバックグラウンドを持つ彼女に編集部の2人で色々とインタビュー!
“Offpeak”の意味、撮る時の視点、今の渋谷について、好きな着物について…
引き出しの多い彼女と話しているうちに様々な話題に飛んで、濃い座談会となりました〜。
スナップを始めた理由
さてさて、ストリートスナップを始めたきっかけは何だったの?
大学時代に都市計画のゼミに入っていて、そこで築地市場の調査をしたのがこの活動の始まりだったんですよね。
ゼミでは、築地を起点に仕事をしている人に焦点を当てていたんだけど、その中には築地という場が生活の基盤になっている人もたくさんいた。
20〜30年前だと築地の場内に病院や図書館もあって。図書館は市場が移転する直前まで運営していたみたいです。

“観光地ではない築地”という意味で『Offpeak Tsukiji』という名前のZINEのような小冊子を作って、最終課題として発表もした。
で、その時にOffpeak(閑散期)って名前が気に入って。
考案者に名前をもらい、offpeaktokyoっていう日常の街のスナップを載せたインスタを始めた。
その場のノリでぽんぽんとインスタアカウント作って、最初の写真投稿して、みたいな感じ。

被写体について
観光地化されたものではなくて、身近なものを意識しているしそこに興味がある、みたいな話をしてたよね。
例えばどんな感じに見つけるの?
そうそう、最初は何を載せようかと探って、実験的な投稿が多かった。
ドキュメンタリーチックに「こんな変な看板がある!」とか。
1番最初の投稿が、“ここの椅子は30分しか座れません”って1枚だったんだけど。

いや、誰が見てる or 管理してるねん!みたいな笑
そういった看板を東京では特に見るような気がしていて。
海外で生活していたこともあって、これは海外では見かけないなっていう気付きも自分のアンテナとして働いている。
そういった感覚で被写体を選んでます。
あの、密漁って写真が気になったんだけど…笑

あぁ、あれ(笑)
結構日本って、剥がれてる看板が多い気がする、文京区のあたりもなかなか多かった。地図とかも意外とボロボロだし…。
注意書きって、行動とかその場で行われてることが示されてる場合が多い気がして。
そこで密漁されるから注意書きがあるわけで。
「ここで密漁する人いるんだ!笑 」とわかる。
そういった意味で、注意書きにはとても惹かれます。
椅子が30分っていうのも…、
それこそ5時間ぐらい座った人いたのかな〜とか思ったり。笑
ゆっくりさせてくれない理由は何なんだろう、とか。
何かしらの前例があったんだろうね笑
コミュニティ内の人々の行動なのか、運営側の意図なのか…とか、そういうものが見える気がする。
海外での経験について
これまで海外経験が豊富だよね。何歳の時にどこに住んでいた、みたいな略歴を聞いてもいいかな?
えーっと、生まれて6ヶ月で香港に行ってそのまま2歳までいて。
3~4歳は日本で過ごして、4歳からアメリカに行って5〜6歳まで暮らして。
6歳の途中から日本に帰ってきて小学校1~3年生まで日本で、
そこから上海に行って小3から中学3年生まで住んで、シンガポールにその後行くんですけど…。
シンガポールはちょっと短くて。今までずっとインターナショナルスクールだったけど、日本人学校に1年だけ行ってみたら、全然うまく行かなくて。
そうなんだ。
日本語喋れるからいけるっしょ、ってノリで受験したら入ってからまったく授業についていけなかったパターンで。
漢字書けなくて全然ダメだね〜って、1年で辞めちゃいました。
日本史が一番大変だったんですけど…。「藤原〇〇」って漢字を覚えるとこから始まるので笑
日本で教育受けた日本人でも結構難しいのに、そりゃ無理だわ!
ここは頑張るとこじゃないねって親と話して、最終的にはインターへ戻りました。
高校2~3年は東京のインターに戻ってきて、そこから今まで実はずっと日本に居ます。
大学も日本の大学、かつ英語で授業が受けられるところが良かったので、国際教養学部に行きました。
てな感じで、父の用事で転々とはしていたんだけど、一番強く残っているのは上海とかシンガポールの記憶。
幼稚園でいたときのアメリカは断片的にしか覚えてなくて、中国とかアジア圏の文化的影響を強く受けている気がします。
それこそ街を撮る時もアジアの風景を意識することが多い?

うーん、どうなんでしょう。アジアっぽいというよりかは、見たことがないorひっかかるという枠組みで撮っている気がして。
それが結果として”欧米にはない景色”になっている気もする。
「アジア的」ってことを考えると難しいな〜といつも思うけど、どこにでもある日常の風景は中国の経験を参考にすることが多いかも…。
もちろんそれはアジア全般で言える習慣なのか、それとも日本特有の景色なのかはわからないけど。
撮る瞬間に意識的になるのって難しいよね。
ピンと来るときと、後から見返してテーマにふさわしい時もある。
結構載せてない写真もあるんですよね。そんなに時間をかけて選別しているわけではないんですけど。

直感に近い感じかな。
そういう面も勿論あるけど、載せるべきか一回考えるようにはしている。
今の渋谷について思うこと
渋谷を撮ることも多いと思うんだけど、今の渋谷の変化についてはどう思う?
ヒカリエ側にいることが多くて、1年でスクランブルスクエアができたり、高速道路の下に大きな陸橋ができたような変化が1番印象的だった。
人の導線が変わってる感覚がすごくあって。

1人で渋谷を歩くことが多かったので、個人的な思入れはそこまでないんですが、
大学の時研究していた川崎市のホームレス問題とか、
関連して調べていた宮下公園や上野のホームレス問題についても色々と考え直すきっかけがあって。
渋谷の変化について、一番最初に思い浮かぶのがMIYASHITA PARKで。
(一同苦笑)
前に2人も話してたけど、閉園時間があるとか。
もう、完全にあれは私有地ですね。公共空間ではない。
ストリートを掲げているけど、あれは逆にダサいよね。
ストリートカルチャーはそれこそストリートで自然に生まれるからかっこいいのであって。
あそこの一階の居酒屋本当に…笑
一応のんべい横丁のオマージュとしてやっているんですかね。
汲み取り方 笑
全然違うし、あれはテーマパークですよね笑
ああいうのをみると、上から大きな力がはたらいていることしか感じない。
そう、本当に残念に思うし…。特に渋谷区長の言ってた「ホームレスが”◯%減”しました」みたいな発言からしてみても、何も取り組んではいらっしゃらないんですねという気持ちになる笑
”減”てどこにいったん?蒸発したんか?
みたいな笑
笑
”減”って表現、グロいよね、何を減らしたの?っていう。
渋谷、好きなんだけど、コミュニティとか公共空間としてみるとあんまり器ができていないなって思う。ホームレスの人たちも気がかりだし。
人を撮ることについて
自分はあまり人は撮らなくて。
単純に人を撮るのが恥ずかしいのと、勇気が出ないっていう理由が大きいんだけど。
その要素が今では自分のスタイルになってるかなって捉えてる。
元々、人が落としていった物や看板などを撮ってて。
「そこに人がいるから人の姿が見える」っていうよりかは、「人が残していったものから、習慣・風習・そこにいた姿を見る」っていうことをコンセプトにしているところがある。
人の介入がテーマになってるのは写真からも伝わってくる。
痕跡から誰かのストーリーが想起できるというか。

卒業後は文化人類学の道にも進みたかったんだけど、写真を撮ることで自分なりの関わり方を続けています。
人は時々撮るんだけど、後ろから撮ることが多くて。
そうだよね、パッと撮ってる感じが臨場感あってカッコいい。

後ろから撮るのは単純に勇気がない、ってところが大きいと思う。
怒られたらどうしようって思ったりとか。
人にレンズを向けるのってちょっと怖いよね。
着物の人を撮る理由
人を撮るとしたら、着物の人を撮ることが多い気がします。自分が着るっていうのもあって目に入ってくる。
街中で着てる人自体少ないけど、一日中出歩く日があったら1〜2人ぐらいは見かけるようになった気がする。行くところが都心が多いのもあると思うけど。
結構いろんな世代の人が着てたりする?
やっぱり年配の方が多いですね、銀座・浅草とかで写真撮ることも結構あるけど、年配の方が着物を着てて良いなって思う。
銀座とかだと、みんなかなりカッチリ着てるよね。
そうですね。あと自分の特徴として、着物の人を撮るときは、割と着慣れてる人を撮る傾向があるかも。
浅草で観光向けとかお祝い事でレンタルで着てる人を撮るというよりかは、
着物を着ていく用事があるおばさんを撮る。

どこのポイントでわかるんだろう。それこそ所作とか?
もちろん所作もあるけど、着ているもので何となくわかることが結構多い。アイテムとかかな。
それこそレンタル着物は、観光チックな雰囲気がするというか、ちょっと派手目な小紋だったりとか。自分の目につく人は普段着の素材を取り入れたりしてることもある。

着慣れている人は帯がゆったりしてるし、あんまりキビキビしていないというか。
そういう要素で、この人着慣れているんだな、普段着として着てるな〜っていうことがわかる。
街に潜む”着物警察”
前にチラッと言ってた、”着物警察” の話を伺っても…?
あぁそうだ、着物警察!笑
着物を着ていると、結構 “良心的” なおばさまが声をかけてくるんですね笑
含みがすごいぞ笑
大学で着物の授業をとっていて計10回くらい着物を着たんですけど。その授業に行く時に、駅のホームで「直してあげようか?」って声かけられて。
「これから電車乗って学校行くんで、いいです」って言ったら、「えっ着付けの学校?」って言われて笑
うざすぎてやばいな笑笑
嫌味の天才かて。笑
「違います、大学です、お金払って着物勉強してないです」って笑。
どんな着方でも大丈夫
そういえば昨日、浮世絵がプリントされている帯をネットで買ったんですよ。
えー、絶対可愛い!
いま我流で着ているのは、その着物の授業の先生たちのおかげかも。
「服なんだから肌がボロンって出てさえなければ良いんだよ」って言ってくれて。
着物の導入としてすごく良い人たちに出逢えたなって思う。
良いね、きものリベラルの方々だ。
それこそ大正時代の人は普段着だったわけだから、毎日着てるものに対してあーだこーだ言ってないはずで。
ジーンズを着ることにスタイルも方法もないのと同じように、着物も自分のスタイルで着たって全然大丈夫。

最初はAmazonで着付けのの25点ぐらいのセットを買ったんだけど、今やそのうちの半分も使ってないです笑
わかる。仮紐を説明書通りに付けると苦しすぎて。半分で良い。笑
大正明治の人とか、首元とか結構ゆるっと着てるんですよね。今メディアだときっちりした着方が正しいっていう基準になってますけど。そんなに気張るものでもないって思っています。
本当にそうだよね。
若い人が着物を着ないから文化を残さないと、と言いつつそんな厳しく取り締まってたら誰も着ないよ、と思う。
その通りで、本当に。
これはダメあれはダメというよりかは、こうするともっと格好良いよ〜もっと締まるよ、というような話し方をしている人が着物警察(笑)の中にいないのが残念です。
ファッションウィークで着物を着てる芸能人とかもいるけど、警察に怒られがちだよね。すぐ炎上する。笑
本当に可哀想。誰のものでもないのに。
歴史をまとう
伝統は興味があるし好きなんだけど、結構オタク気質なのでアンティークなものは考古学的な視点で好きかもしれない。
そうなんだね!
ファッションっていうよりかは着物っていう概念に惹かれてる感じ?
半分半分ですね。一番楽しくなったのは、自分の着物のスタイルを見つけた後。
最初は単純に着れるようになるっていう能力に関心があったんだけど。
今は割と自分のスタイルや自己表現の文脈でもすごく好きですね。
確かに着物って、個性が出せるもんね。髪色自体、黒じゃなくても全然映えるし。
着物に赤いマーチンを合わせてるスタイリングがすごく好きだった。

あー、そうそう、ブーツ良いよね!めっちゃかっこいい!
草履が履けないんですよ〜。昔の人は慣れてたかもしれないけど、足が進化しちゃってるから無理ですね笑
現代ものよりかは、大正昭和初期の古い着物をメルカリで見つけてきて。完全に趣味で。
それこそ考古学とか例えるならピラミッドのかけら持ってるような気持ち。
コレクションというか、古いレコード持ってる時の快感、みたいな?
あ、そっちの表現の方が良いですね。歴史を持ってるってことが言いたかった笑
自分の一部として身に付けられるって嬉しいよね。
今でも続いてる文化に参加できるっていうのが好きだし、それも自分の一部の表現に繋がっている。
最後に…
そうだ、最近は漢字のグラフィティを探してるんだよね?
そうですそうです。漢字のグラフィティってあんまりないなって思って。
この間初めて見つかったのが「死」っていう漢字で。

笑
ちょっと違う、もうちょっと探したい…!と思いながら笑
ただそこに書いただけな可能性あるよね笑
これはグラフィティって言って良いのかっていうところがちょっとありますね。
これも、記事で募っとこうか。
そうしよう〜。
もし漢字のグラフィティを街で見つけたら、skinsのアドレス(skins.net.2020@gmail.com)やこの記事のコメントに、是非是非送ってください。
というわけで盛り沢山なインタビューとなりました!
mariaちゃんの活動についてはこちらもチェックしてみてね。
CAMPFIREプロジェクトページ▶︎▶︎
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