ここ数年のフェミニズムの盛り上がりを受け、「男らしさ」を問い直す本も相次いで出版されている。

新聞やメディアでも、男らしさの呪縛への言及が多く見られるようになったが、果たして当事者である男性たちは、この流れをどのように受け止め、そして今の社会に何を望んでいるのだろう…?

先日、たまたま大学時代の友人同士でグレイソンペリーの『男らしさの終焉』についての読書会を開催する流れになった。せっかくの機会なので掲載の依頼をお願いしてみると、みなさんすんなりと快諾。

今回は、このプライベートなゆる〜い読書会の様子を記事として掲載したいと思います。協力してくれた3名のみなさん、本当にありがとう!

(※掲載している内容は、あくまで個人の主観として楽しんでいただけたら幸いです)

 

 

今回出てくる人たち

 

著者グレイソンペリーってどんな人?

じゃあ読書会、始めようと思います。まずは、著者グレイソン・ペリーについて軽く調べてみましょう。

(The Gardianより )

ターナー賞作家であり異性装者としても知られるグレイソン・ペリーは1960年イギリス生まれ。

現代社会を風刺した陶芸やタペストリー、彫刻、版画などを手がける。これまで大英博物館やサーペンタイン・ギャラリー、金沢21世紀美術館で個展を開催するなど、国際的に注目を集めるアーティストだ。

美術手帳より

異性装者、トランスヴェスタイトなんだね。

グレイソン・ペリーは女装家でもあり芸術活動もしている、と。

グレイソン・ペリー (Grayson Perry CBE RA)(1960年3月24日生まれ)は、イギリスの現代美術家。ファインアートで有名、作家、放送作家。陶製の花瓶やタペストリー[1]、クロスドレッサー[1]、現代アートシーンの研究などで知られる[2]

Wikipediaより

ロンドン芸術大学総学長…。

テレビの司会者とかもやってるみたいよ。

ちょうど還暦なんだね。60歳。

この世代の人が書いてることに意味があるよね。
イメージだともっと若い人が書いていると思ってた。

団塊世代のちょい下ぐらいだよね〜。

では皆さん本を手に取ってもらって…。

装丁が可愛いよね。この表紙見ると、デフォルトマンミドルクラスの白人男性)への愛着が湧いてくる笑

 

まずは一言ずつ感想を…。

じゃあいったん一言ずつ感想をお願いします。そのあと一個一個、掘り下げていくんで。

一言か~、難しいな~。

じゃあ僕から…。

自分は正直ジェンダーの本とかそこまで読んできてなくて。とはいえ今の社会に生きていると、社会的なトピックとして意識せざるを得ないし、関心はあります。

まず、この人は結構ラディカルだなという印象を受けました。「徹底的に男らしさを駆逐してやる!」みたいな気概があるな〜と。

この本で書かれている現状を日本に置き換えてみると、僕とですやん2人はデフォルトマン(=イギリスのミドルクラスの白人男性)になるわけで、批判の対象なわけだけど。

男性として「分かるな〜」という共感する点もたくさんあるし、ハッとさせられる瞬間も何度もありました。けどそれと同時に、自分が批判の対象側だからだと思うんだけど、読んでいて若干しんどいな〜という感覚も覚えたというのが率直な感想です。

読んでてしんどいという面はありつつも、語られていた男性の息苦しさについて、共感できる部分もあって。

「競争したい」とか「男だから〇〇」みたいな価値観が小さい頃からあまり好きではなくて。なるべく競争したくない人間だったけど、それをある種強制させられていた幼少期があったことを思い出した。今では慣れて、演じている部分ももちろんあるけど。そういう体験や思いを言語化してくれた一冊というか、貴重な本だったかな~と。

極端に書いているというか、男性視点から見るとしんどいっていうのは本当にその通りだと思う。でもイギリスの人だから、ある種ジョークじゃないけど、皮肉的に強調して書いている箇所もあって。それが行きすぎてて、むしろ過度に女性を特権付けて語っている部分が時々あった。そのせいで、本来目指す方向との矛盾が生まれてる気がしました。

とはいえ全体としては賛成できる内容で、個人的にはよかったなと思った。

二人の感想を引き継ぐと…、前にヒロインズって本が出版された時、男性側から「ジェンダー系の本を読むと怒られているような気持ちになってしまい、読み進めるのが辛い」という意見が結構出ていて…。この本も二人が言うように、男性にとっては耳が痛い内容ではあるのかなと。もちろん、そこと向き合わなきゃいけないんだけど。

タイトルが示唆するように、この本は男らしさの固定観念を変えていくきっかけにはなると思うんだけど、実際は男らしさから解放されたその先のロールモデルがまだ居ない状況だと思ってて。デフォルトマンとしての男性は今後どうしていけば良いのか困惑してるのでは…?と思いました。男らしさとは別のロールモデルを探していくことが今後の課題というか。

あとイギリスはジェンダー差と同時に、階級社会の問題もあるし…。そこに人種のレイヤーも絡んでさらに複雑になってるのかなと。

あと、グレイソン・ペリーさんは服が好きなので、服の役割を性差の観点から話している章が面白かった。

皆さん全然一言じゃないですね笑
僕の言葉書き足してもいいですか。

じゃあうけさんどうぞ〜

前半の方だけ読んだ印象を語ります。
まず、女の私でも「そんなに!?」って思うほどに、デフォルトマンに対しての憎たらしさというか、糾弾するニュアンスの書き口という印象は受けました。

この後読み進めて変わるのかもしれないけど、例えばスポーツカーがペニスの象徴だ!とか、男性デザイナーの作った建築物は全部ペニスだ!とか…

なんというか「ジェンダー講義聞きかじった頃の大学1年生みたいなこと言うなよ笑」って思ったりとか…

とっつきやすくていいんだけど。

んで、みんなと同様に、これってすでに既得権益がある男性側からしたらすごく耳が痛い内容だと思うんだよね。

私たち女性側は例えば「妊娠で産休とるのは私たちだよね?育休は男性が取れるんじゃない?」って言えはするけど、男性側からしたら今享受しているものを手放すのは難しいと思うし。

今は「この状況おかしくない?」っていう提言をする第一段階。

ここからは男性側と女性側、あるいはそのどちらにもカテゴライズされない人々をこの議論に巻き込んで行って、より良い解決策を探すべきなんだけど。その時にこの本のスタンスや、語り口を続けていってはダメだと思う。

次のフェーズの人であったり、この人がもう一歩進んだ話し方をしていかないと解決には至らないのではないかなーと。

ありがとうございます。

今感想を聞くかぎり、みんなに共通する部分もあると思ってて。男性の息苦しさに共感っていう箇所でいうと、自分も同感です。

ですやん。もそういう感じするけど、自分も元々男らしさがある人間ではなかった。ギャルの音楽が一番好きだからな~。

言ってたよね前「やっぱ俺ギャルの音楽が好きだから、うけさんと音楽の趣味かぶるんだよな~!」って

そう、結構ギャルっぽい趣味がある

  

男性同士の会話はカードゲーム…?

自分の親は言ってなかったとは思うけど、「まわりに勝たなきゃいけない」とか「やられたらやり返せ」みたいな無意識下の刷り込みみたいなものはあって…。

文中にも出てくるけど、会話はカードゲームみたいな要素があって。それこそどこかで切り札的なものを出して、相手を打ちのめさなきゃいけないみたいな。そう思っている節があるというようなことを書いてて。

やっぱりそういう暗黙のルールがあるような気がする…。男性だけかっていうとちょっとわからないけど。

ビジネスとか学校とか、閉じた世界の中でのマウンティングのために、どうしてもそういう交渉術なり騙し討ち的なものが求められることは多いかもね。日々ゲーム理論みたいなことを意識するみたいな。

日々ゲーム理論 笑

大学時代、男の人はゲーム理論が好きで、わざとそういうフォーマットでコミュニケーションしてるんじゃないかって思ってた。

経済学部とか商学部とかに、ちょっと小賢しい男の人いるじゃん。あぁいう人たちって、体育会系の「パワー!マッチョ!」とは別の形で、男性性の見せ合いというか、競争をしているんじゃないかって。

  

弱みを見せることについて

それに関連してなんですけど、男性は弱みを見せられる人が少ない気がします。
「男性性=弱さの否定」だから、キツいだろうなって。

泣かない人多いよね。泣けない人が多いと思う。

多いですよね。こういうメディアだと色々な性別の人の意見が欲しいので、男性にも記事を書いてって頼むんですが、個人的な心情だったり出来事を表に出す人は滅多にいなくて。

あー、なるほど。

弱みの共有でつながれないのは辛そうだなと思います。そういう場もないから。

交際しているパートナーのこととか言わないし、聞かない人も多い気がする。女同士だと痛み情報を分かち合うみたいな機会もあるけど。

男性は逆に女友達に相談して実践する、みたいな話もよく聞くよね笑

  

仕事と家庭で求められる男性像

私は今独身で総合職で、1人で生計を立てているんだけど。働いていて上の立場になればなるほど、”甲斐性”みたいなものが求められると思うのね。

わー、甲斐性。日本っぽい言葉ですね。

既得権益を持つ男性たちの闘うフィールドがビジネスだとしたら、マネージャーとして下を見る力も甲斐性だし、目標を達成するやりきり力も甲斐性。

いや~わかるなー。

あとはマネジメントとかね。結局、人のケツ拭きをしてやる責任感や度胸なり胆力なりが求められると。それをしないと次のステップには行けないように感じる。

いや~めっちゃわかるなー。

なおかつ、この年代になると仕事と同時に家庭でもこれを求められるから、今の時代、結婚が辛いんだと思う。

仕事だけじゃなくて、家庭を運営するために必要な資金を外部から調達してくる能力と、家庭内で奥さんと子供のメンタル面に配慮する能力が同時に求められてる。

無理ですよね、全てを完璧にやるのは。

昔は激務でも、接待とか派手な遊び方で発散できたかもしれない。今は働き方の観点ではだいぶクリーンになったけど、その反面、規制が明確にされて、経費も削減されたし。

現代男性は大変。優しい人ほど大変。
表面上はジェンダーへの配慮が進んだ社会になったのかもしれないけど、実際はあらゆる性別に寄り添える優しい男性ほど「弱い男性」とされてしまう。結局はマジョリティーから認めてもらえない、っていう構造になってる気がします。

だから「荷を下ろせ」ってことが、この本にも書かれてますよね。

うんうん。最後のページにまとめてある。

(本書より)

いや〜めっちゃわかる〜〜〜〜

ギャル出てきた 笑

 

優しい人は、競えない

今、都心に住んで働いてますが、いわゆる企業の中で上に立つべき人間として良しとされている人物像って僕にとって目指したいものではないんですよね。むしろ、こうはなりたくはない、というか。

冷酷というか、優しくしていたらダメというか、なんだろ、威厳だったりとか。

職場で「優しすぎる」という指摘をされたことがあって。

優しさがビジネスにおいて弊害になる、と。

例えば企業の中で、プロジェクトや案件をとってきたりすることが必要になってくるんだけど…

全部競争だもんね。永遠に終わることのない、成長のための競争。

そうそう。その競争をやっていかなくちゃいけない。

今の会社はクライアントワークではないから社内で完結しているんだけど、社内でもいくつかのチームに分かれていて。その各チームの中で「このプロジェクトは自分たちのチームで遂行できるように。舐められないように。」といったことが求められる。アホくせぇな、と思いつつ…。

結局、競争ベースの環境だと、勝ち取らないことには案件はできない。

 

諸悪の根源は…

あと…やっぱりね…なんというか…

◯ュースピックスおじさんになったら、もうおしまいだと思ってて。



めちゃくちゃ嫌ってるよね

(文字を打ちつつ)人間として、死んだも同然。

(同時に記録していた議事録)

こんなんになるんだったら、◯んだほうがマシ。



この画面フリートであげていい??

んー、今の時代どう波及するか分からないから笑

 

つまり◯ュースピックスおじさんって…?

◯ュースピックスおじさんって、つまりどういう人?
そのイメージがないから…。

仕事論みたいな観点だとしたら、それは男性に限った話でもないような気もする。

そうだよね。何を指してるのかというと…。男らしさとは若干変わってくるんだけど、デフォルトマンとも関連性のある話で。

これとの関連が強いかな…(文字を打ち始める)

新自由主義。

そう、いわゆるネオリベラリズム。つまり、優勝劣敗の社会。

あぁ。そこは確かに男性性とも繋がるよね。

そうそう。
この先生き残るには〇〇が必要」「〇〇な人は生き残れない」とか。

◯ュースピックス文体だ 笑

不安訴求、恐怖訴求。

こういう態度って格差を拡大させることにも繋がる。しかも格差が拡大すると、最終的には勝った側も損をするし。例えば社会全体の治安が悪化したりさ。
日本もアメリカも今ネオリベ社会を突き進み続けてるよね。

     

地域社会の抑止力

地域社会で暮らしてると、よりそういう(勝った側も最終的には損をする)ことを思うね。

その話も聞きたいですね。

治安が悪化するみたいな視点から考えると、例えば、大阪の池田小学校事件 教育大学附属の小学校に男が乱入し、児童を無差別殺傷した事件)とかね。

格差が拡大すれば、勝ち組側への配当も増えるから、当然エリートに向けてのヘイトも溜まるし…。

今、四国の片田舎で暮らしているけど、地域社会っていうのは海外との競争意識もなく、ごくごく一部の共同体で成り立っているのね。

結局は持ちつ持たれつなわけで。高収入も低収入の人も分け隔てなくというか。

そうしないと、小さなコミュニティーって成り立たないですよね。

例えば田舎でブラック企業が搾取ばかりしてたら人がどんどん外に逃げていくし。じゃあ今度は(低賃金でも雇える)外国人労働者を入れなきゃ!となって、ますます若者が減っていく。

若者がいないから子供ができない、老後の介護は誰に任せよう?みたいな問題も出てくる。結局は自分に返ってくるというか。

うんうん。

これは持ちつ持たれつに比べたら危険な言い方かもしれないけど、地域社会では全方向に優しくしないと、どこで何されるか分かんない。

なぜこの持ちつ持たれつの仕組みが保たれているかというと、結局は顔が見えるから。「あの子は〇〇さん家の娘だ」って監視されることは、ある意味”呪い”かもしれない。でも「昔お父さんにお世話になったから、娘さんにも仕事紹介してあげるよ」って繋がりもあるわけだし。

田舎の監視社会という足かせは、格差や新自由主義の広まりをある程度抑制してくれるポジティブな面があると思う。

   

話題は再び◯ュースピックスおじさんへ…

◯ュースピックスおじさんに話を戻すと…笑

あぁいう経済界において上の立場というか声が大きい人たちの中で、豊かな心を持っている人に出会った事がない。こうはなったらおしまいだなって思うような人が個人的には多くて。あくまで自分の価値基準ではあるんだけど。

コロナが流行り始めて経済にも打撃があった時、そういう人達が「蓄えがない方が悪い」みたいな自己責任論を振りかざしていて。すごく嫌でしたね〜。

自分のためだけに金貯めといて、豊かなことなんて本当はないんだよね。

そうそう、ほんとに。

分け与えて自分が苦しくなるのは愚かなのかもしれないけど、食べ切れないぐらい一人でパンを抱えるよりかは、みんなで分けた方が美味しいよね。

田舎でリアル物々交換を体験して、シェアする喜びを知った。同時にネオリベの人たちは凄く寂しいなと思ったし。

東京で一人暮らしてた時はそれこそ不安に煽られて「自分も投資信託しなきゃ!」とか、年下交えた飲み会で「給料高くもないのに何でまた多めに会計出してるんだろう…」みたいな考えが一瞬頭をよぎったりね。

でもそういう飲み会で仲良い後輩と過ごす時間はプライスレス。人生の豊かな瞬間でしょうよ!(ど〜ん)

 

処世術としての◯ュースピックス的価値観

僕も過度な自己責任論は嫌ですね。

じゃあ改めて「人生の豊かさって何?」ということで…

結局そこにもどってくるんだ 笑

◯ュースピックスおじさんとかを見ていると、余計にそういうことを考える。

いわゆる経済界において偉い人に対する憧れとか、一切なくて。

それこそ新たな男性性だよね。

いわゆる愛社精神とか全然ないんだよね、分からなくて。愛社精神ゼロ。生まれてくる時にお母さんのお腹の中に置いてきた。

あと、仕事ぶりを周りから認められることが、自己実現に全然反映されないというか。故に生きづらい面もある。社会人になってみると、それをモチベーションに仕事頑張ってる人が世の中には想像以上に多いことにカルチャーショックを受けたね。

もしかしたらウデオは、既にこの本を読む必要がない人なのかもね。

というのも、この本の中で言われてるジェンダーって生得的なものではなくて、後天的に服を着せられたりだとか、演じることを強要させられたりする中で自分を矯正するものって定義だから。ウデオはそこにあまり左右されていないと考えるとしたら、環境が良かったとも言えるんじゃないかな。

ウデオの気持ちもよくわかる、でも自分は愛社精神的なものがゼロとも言い切れないんだよね。

うん、組織に入るとある程度強制させられるし、その考えの方が上手くいくような場を見てきたら、そっちに寄ってきちゃうというか…

そうそう。知らず知らずのうちに引き寄せられていっちゃう自分もいる。
確かに◯ュースピックスおじさんみたいなものが嫌いな気持ちも、非常によくわかるんだけど…

わかるんだけど、完全にシャットアウトもできないんだよね。気になるんだよね。

そう、できない。なぜなら情報化社会において少しでも優位にたたないといけない、優位に立てるんじゃないかという思いが、心のどこかにあるから。

そこのバランスも取っておかなきゃって意識ですかね。

なんというか、優位な立場にいる人たちの攻略サイトを見ておくことで、自分も引けを取らないようにしておこうというか。

そうそう、それが生きる術として機能している面もあるというか。

なるほど…。

自分は、グレイソンペリーにおける男らしさぐらい、◯ュースピックスおじさんを敵対視しているんで。

 

うけちゃん割り込みビヨンセ論

ヤバいなどんどんジェンダーの話から離れていく…笑

なんなら、私はこの場においてもビヨンセの話がしたい 。

まぁジェンダーのシンボルとして見ることもできますからね笑

そう。

言ってしまえば、ビヨンセは完全に、対デフォルトマン用に作られたヱヴァンゲリオン初号機なわけよ。デフォルトマンという使徒に対して、まず最初に作った初号機。

パンチラインですね笑
ヱヴァ初号機というメタファー。

白人男性社会に対する、黒人女性なわけで。

ビヨンセは音楽界において、エリート中のエリート。成績表をつけるとしたらオールA。努力を怠らない。もちろん生まれ持ったスター性もあるんだろうけど。

例えるなら、地頭が良いタイプではなくて、学校の勉強もちゃんとしつつ推薦入学するような実績も残しているような学生。毎回の大きな舞台も、段階的にきっちりこなして全部成功させるし。

で、恋愛面も結婚するまでスキャンダルなし、Jay-Zと付き合うまでスキャンダルゼロ。

で、結婚後もし子供を産まなかったら、彼女は対デフォルトマンとして完璧じゃなかったんだけど、ここで子供を産んだ。

でも母親になって引退したら初号機としての使命は果たせないから、子供を産んだ後も復帰して、さらにはコーチェラ(音楽フェス)でバーン!と成功を収めるシナリオ…と。

で、ここまでは完璧だったんだけど、想定外の出来事としてJay-Zが浮気した。サラサラ髪のベッキーと。

あぁ〜、あったなー笑

Jay-Z『4:44』でめっちゃ謝ってましたよね。

でも対デフォルトマンの初号機としては、ここで屈してはいけない。『If I Were A Boy』とかもそうだけど、対男という視点で(男性嫌悪ということではなく)、全人類のために、男に対して物申さなければならない。

だからこの苦しみを『lemonade』で昇華して、そのアルバムを大ヒットさせて。そしてコーチェラの最後、全然コンディションが整ってないしゃがれ声のJay-Zを、客演でステージ上に連れてきて。自分はバッキバキに仕上がってるのに、声ガラガラのJay-Zに歌わせて。「私のジェイです」と。

(コーチェラでの名シーン 参照

んでその後、夫婦ツアーとかもコーチェラの後やったりして。あれとかまさに禊(みそぎ)だよね。

カーターズ(The Carters : ビヨンセとJay-Zの夫婦ユニット)とかもその流れでしたっけ。

そうそう。あれはビヨンセ自体が「うちのJayですよ」ってみんなに挨拶回りすると同時に、Jay-Zに禊をさせるっていう意図でもあるんだろうけど。

あそこまでしないと、彼女のここまでの実績がゼロになってしまうから。全て成功させなければいけない。失敗してはいけない。だからこそ私は拍手を送りたい。

そこまでしなくて良いよって状態なのに、ここまでのプレッシャーを成し遂げた。ずっと拡大成長しなきゃいけないから、彼女に赤字は許されない。辛いと思う。

うけさんは自分と重ね合わせる部分もあるんでしょうか。

いや、重ね合わせるというか、私はできない、こんなこと。対デフォルトマンとしての初号機だからこそ、デフォルトマンと近い苦しみを持ってると思う。

休みなく次の目標を設定し続けてその高いハードルを越えなきゃいけないし、尚且つデフォルトマンより勝らなくてはいけないから。

黒人と白人が同じトラックを走っていたとしても、黒人の脚には最初から鉛がついている。何百年もその状態で走ってきたわけで、今その重りを外したとしても歴史の中で生まれた距離の差があるし。

なおかつ、この両者の差を無くそうとするアファーマティブアクション(→詳細)という試みもあるけれど、その対象となる黒人は、黒人の中でも明らかに目に見えて優秀じゃないといけない。既得権益側の白人は隣に並ばされたくないわけで。ビヨンセはその権利をもらうために、成功だけしか許されない。

本来は、エリートでもなく才能を持っていない黒人や女性でも受入られなければならないけど…

そうそう。その第一段階としてビヨンセが先行突破しなければいけない。その後に、”バッドギャル”つってリアーナが出てきたり、”私は2番目の女で良い”ってSZAが出てきたりとか。あの子たちはネオなんだよね、ビヨンセの次の時代。

ビヨンセがレールを敷いてくれたからこそ、できる振る舞いでもありますよね。

そう、そしてその時代にはもうビヨンセのスタイルは古いものになっていて。例えば、一昔前のバリキャリな男勝りの女性は、今の自然体な女性からすればパワハラに値すると思うし。

そういった対比を「お局VS若い女性社員」の対立として描く構図はよくあるけど、実はどちらも被害者なんだよね。

 

話は尽きませんがそろそろ時間です。

全然終わらないな。

最初からわかってたでしょ!笑

時間もないので、このへんでいったん締めましょう。

これどうすれば良いんだろ。

連載化かな

 

かなり濃い内容となった第1回読書会でした。次回もお楽しみに〜。

 

 

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