ナイキのCMが話題だ。最初に断言しておくと、あの内容は真実だ。「ウソだ」なんて言わないで欲しいし、そこで対立が生まれないで欲しい。

たまたまツイッターのタイムラインに流れて目に入って、何の気なしに見た。よくある、スポーツに熱中する少女の話かと思っていたが、動画が進むにつれ、心がざわざわした。自分の中の禁忌を暴かれた気持ちになった。ストレートに心をかき乱す描写だったから、胸が苦しくなった。今まで他人に触れさせてこなかった、自分一人でケアするしかなかった傷、がむしゃらに補完してきたアイデンティティ。こんな形で他者に治癒される日が来るなんて、あまりに不意打ちだった。「あ、これは私の物語だ。」と思った。

「何が言いたいのかわからない」「あんなのフェイク、誇張しすぎ」
そんな意見を見て、悲しくなると同時に、強い反発を覚えた。一人一人に思い切り反論したくなった。当事者じゃなかっただけで、よくそんな立ち位置から言葉を吐けるよな、あんたらほんまに、他人事でよかったね。

だが冷静に考えると、ここで対立しては意味がない。歩み寄るのに抵抗を感じるのが本音だが、そうやって「ピンとこない」人も社会にいるのは事実だ。みんなそれぞれ生まれた場所、育った環境が違う。体験してきたことも違う。


きっと、彼らには全く縁のなかった世界の話なのだろう。想像力が欠けていると言ったらそれまでだが、想像するにもやはり何らかのきっかけは必要になる。そのきっかけの欠片すら、きっと無かったんだろう。社会における分断は、こういうところから生まれる。人生においてのあらゆる機会はひとりとして同等には与えられない。私が見てきたもの・体験してきたもの、社会全員が知っているはずがないし、あの人のあんな体験や様々な感情も、私には想像できない。

というわけで、混血として日本で育った一人の人間の話を書こうと思う。前述したとおり、嫌な出来事は脳内から消してしまったので記憶にある限りで述べる。共感する人も、いるかもしれない。


私が育った場所は、多様性とは程遠い、大阪のとある郊外の町だ。外国人なんて近所でも母だけだった。覚えている限り、物心ついた時すでに「自分は皆と出自が違うらしい」と分かっていた。

ママの日本語のイントネーションは独特のクセがある。ひとたび話し始めると、その発音から日本人でないことは一”聴”瞭然。大体の友達は、それを耳にすると、クスッと半笑いになったり、マネしたりした。悪気のない子どもは残酷で、皆、ただ正直なだけ。ネタにされる度に堪らなく恥ずかしくて、(もう友達にママの日本語を聞かれたくないな。)とうっすら思うようになった。

ある日、ママが異文化を学ぶ授業で特別講師として来校し、台湾の食文化を子供たちに紹介する機会があった。案の定、同席していた同級生たちはママが話すたびにクスクス、ニヤニヤ。やんちゃな男の子は度々ママの日本語を復唱して面白がった。
(外国人の親を持つって、恥ずかしい。皆のママは、普通の日本人でいいなあ、日本語が変じゃなくて。こんなひどいこと、ママには絶対言われへんけど。)

葛藤を抱え始めたのは、こんなごくごく小さいことからだったと思う。学校の行事や授業参観など、親が学校に現れるイベントは毎回憂鬱だった。特にママは台湾気質が炸裂し、気さくにクラスメイトに話しかける。頼むからやめてくれ!といつも願っていた。

そんなん、笑ってくる奴らを笑ってやればよかったのに。外国に来て、外国語を駆使して、子育てをして。あんたらにも同じことできるんか?

今なら反撃の方法も分かる。でも、小さい頃は見えている世界が全てだ。どんなにおかしい状況でも、それが全てであり、受け入れるしかない。

記憶にある限り、当時「台湾」という国をきちんと認識している人はほとんどいなかった。
??タイワン?それどこ?
2000年代の日本なんてこんなもんだ。
教師すら、ほとんど分かっていなかった。今でも良く覚えているのが、タイで大きな洪水があった年。クラスの担任に「お爺ちゃんお婆ちゃん、親戚の方は大丈夫?」と心配された。

「あ、私の親族がいるのはタイじゃなくて台湾です」

「・・・?お母さんにお伝えしといてね、かなり大変でしょう。」

何度も訂正したが、その声は届かなかった。他の先生も、タイワン・・・えーっと?という反応だった。悪気がないのは分かる。誰も悪くない。でも、がっかりした。

(台湾ってそんなに存在感ない国なんかな、皆知らんやん。日本で私しか知らんの?
私って一体何なんやろ。)揺らぎと孤独を感じた。

小学4年生くらいになり、女の子が男の子にやたらと何でもからかわれる時期が到来した。体型や顔に対する言及はもちろん、私はそれにプラスして「タイワン人!」と言われた。彼らにとって、私が混血であることは異質であり弱点でもあると思ったのだろう。

当時の私は、「ブス!」には「お前こそブス!」、「巨人!」には「うっさいわチビ!」と返して張り合う強気な子だった。でも、「タイワン人!」と言われたら、何も言い返せなかった。どうやら「純日本人」である彼らが正しく、「タイワン」の血が混ざる私は、おかしいらしい。その前提を疑わず、そのまま受け入れた。目の前にはその環境しかなかったからだ。

私は受験をし、地元を離れて市内の中学校へ通うことが決まった。新しい環境で、知り合いは誰もいない。そこでまず徹底したのは、「タイワン」の血が混ざっているという弱点を晒さないことだった。
異質であることがバレなければ、からかわれないはず。普通の日本人のフリしておこう。
安直にそう思った。仲良くなった子にだけ「誰にも言わないでね」という形で伝えた。
「えっ!どこのハーフ?…あー、アジアか。」と反応されることもしばしば。

アメリカとかフランスとか、欧米の”ハーフ”の方がウケがいいらしい。
(アジアンハーフの自分は、ダサいんやな。)もはや「タイワン」の血が流れていることを呪ったし、一種の罪のように捉えていた。

救い

2009年、13歳の時、KPOPと韓国文化に出会った。それまではずっと洋楽・欧米のアーティストばかり聴いていて、私の中にアジアの音楽はイマイチだから聞かない、という”欧米信仰”があった。自分でもアジア差別を内在化してしまっていたのだと思う。そんな中で、KPOPは音楽やダンス、ファッション、すべてがエンタメとして最高にイケていて、世界規模で活躍している姿に強い衝撃を受けた。

このMashupよく聴いたなぁ。当時のKPOP全部が詰まってる!


“よくわからないアジアの国(当時の日本にとって)”の人々でも、こんなにかっこいいし、堂々としてていい。皆から憧れられ。羨まれる対象であっていい。

アジアのミックスとして、勇気と救済を貰えた。いまKPOPが世界で流行っている理由は、そのエンタメとしての完成度の高さやユニークさはもちろん、アジアに対するイメージ像やステレオタイプを変えたことも大きな要因であるように私は思う。

本来なら、その国や地域にイケているエンタメやブームとして消費するに値するものが無くとも、対等な視線を持つべきだ。”○○ブーム”、それは手放しに賞賛するべき現象ではないし、そこに暴力的な視線が混ざるところは見逃せない。私も今まで自分が文化を消費してきた姿勢を振り返るべき点が多く、今後、掘り下げたい分野だと考えている。ただあの頃は、どうしても分かりやすくカッコいいものに惹かれた。自分にとって強力なポップアイコンロールモデルを必要としていた。

救い

高校2年の時、ある教育実習生と仲良くなった。実習期間が始まる日、その人は自己紹介の時に「韓国とのハーフです!」と堂々と伝えていて、私にとってはかなり驚くべきことだった。(仲間だ!)と思った。

「先生には言うけど、私もハーフやねん。でも内緒にしといてな。」
そんな感じで打ち明けて、休憩時間や放課後によくたわいもないおしゃべりをした。
彼が実習生期間を終える最終日、私に一通の手紙をくれた。
中には、「君がなんで隠しているのかは分からないけど、それは恥ずべきことじゃないし、隠すべきじゃないよ。もっと堂々として良いんだよ。」といった主旨のことが書かれていた。

それを読んだとき、実はあまりピンと来なかった。ひねくれていたから、(あなたはいい環境に恵まれたんだね、そんなの綺麗事じゃん。)と思った。

救い

2012年頃、高校生、ジワジワとKPOPが本格的に日本でも流行り始め、周りにも好む人たちが増えた。韓国の芸能界からデビューするアイドルの中には中華系の人もいたので、韓国に続いて中華系の存在もより身近に感じられるようになる。f(x)のアンバーの活躍がとても嬉しかった。

その頃、韓国のファッションやメイク(懐かしのオルチャン文化)を積極的に取り入れ、韓国人に憧れ、SNSのプロフィールに「日韓ハーフです」と書き足したりする人が爆増した。(”韓国ブランド”いいな、私も誇示してみたいよ。)と嫉妬したくらいだ。

時代と価値観が変わり、”よくわからない東アジアの国(日本にとって)の人々”にも実質的に市民権が与えられるようになった。”与えられる”って何やねんという感じだが、そんな変遷を、肌で感じた。

私と同世代のアジア圏混血(台湾、中国、韓国、フィリピンなど)の友人達に、過去のことを聞くと「混血であることを隠していた」という人が大半を占める。今もあまり言わないようにしている、という友人もいる。隠すことが、自分を守ることに繋がるからだ。私たちが言いづらい状況に置かれていることは、暗黙の了解として確かにそこに存在する。はっきりと可視化されていない”アジア蔑視“が強かったのは事実だし、今もそれは残っていると思う。


大学に進学し、成人すると、見える世界が広がり知見も増え、台湾の混血であることを隠そうとは思わなくなった。精神的に自我が成熟したこともあるが、台湾がある程度ポピュラーな国になってブランド力が高まり、言いやすい状況になったのもあると思う。先述した通り、国や地域に”ブランド力”や”知名度”が影響するなんて悲しい。が、現実社会の中ではそういう要素がとても強く作用する場面が多い(と私個人はよく感じてきた)。

自己紹介の時には自分から進んで言うようになったし、むしろ、今まで隠してきたきっかけも理由も、忘れてしまった。イヤな思い出はどんどん薄れ、かつて何を言われて何が不快だったのか、もうほとんど覚えていない。

自然に忘れたというより、それを打ち消すように、私はアイデンティティの復旧に努めた。悪い記憶はほとんど塗り替えられた。

“多様性”なんて今ほど謳われていなかった頃。
社会や他者にはもう期待していなかった。自分でやるしかない、と思っていた。やり方も分からなかったが、ずっと恥・罪だと認識してきた自分の一部を埋めた。
とにかくがむしゃらに、文化を吸収した。人と交流した。語学を学んだ。留学をした。精神性や価値観を学んだ。“失われた自分”を再構築した。

だから、NIKEのCMを見た時は、正直「羨ましい」と思った。
あの頃に欲しかったよ、、」という感想が最初に出てきた。
10代の頃、あんな誰もが知るスポーツブランドが、私の存在をエンパワメントしてくれたら、どれだけ心強かっただろう。どれどけ救われただろう。

このCMを制作した人たち、世に出してくれた人たち拍手と称賛を送りたい。ありがとう。

 

2件のコメント

  1. はじめまして。韓国系の日本人です。
    この記事を読んで、共感で胸がいっぱいになりました。私は韓国ミックスであることを隠して生きてきて、常に自分のルーツに対し何か負い目ようなものを感じています。高校時代に私のルーツを知らない友人に「韓国怖いから嫌い」と言われて胸がギュッとなりました。そうした経験が積み重なって、現在21歳ですが未だに恋人以外に自分のルーツを明かせません。
    ナイキのCMに対するコメントの中には在日朝鮮人への侮辱と言えるような内容も多く、気が滅入っていました。そんな中で、紗さんの文章には救われました。私もこのCMの内容が真実であると言える証人の一人です。自分に確固たる自信を持てるようになったら、私も自分のルーツを隠さずに生きていきたいです。そして、私もエンパワーメントする側になっていきたいと感じました。
    何が言いたいのかよくわからないコメントになってしまいましたが、とにかく、この記事を書いてくださりありがとうございました。もっとたくさんの人にこれを読んでほしいです。紗さんの言葉に勇気づけられる、元気づけられる人が日本にはたくさんいると思います。

    1. すみさん コメントありがとうございます!
      同じアジアとのミックスで似たようなご経験をされたとのことで、共感いただいてあたたかい気持ちになりました。
      私もこの記事を書くまで心の整理に時間がかかり、勇気が必要だったのですが、すみさんからのご感想を頂いて、
      「書いてよかったな」と改めて思えました。

      “ルーツに対して負い目を感じる”という気持ち、とてもよく分かります。今までの周囲の反応や態度から、必要のない罪悪感を背負ってしまう。当たり前の反応です。パートナー以外にはまだルーツを明かせられていないとのことで、痛いほどその気持ちが伝わります。
      ルーツや血というものは生まれた時から決まってしまっていて、捉え方によっては”呪い”のように思えてしまいますよね。私も長年、そのように思っていました。
      でも、現在のすみさんを形成してきたのは、紛れもなく数々の意思決定をしてきたすみさん自身。
      血や人種はすみさんを構成する数々の魅力のうちの一つの要素でしかないと思っています。ルーツを明かすも明かさないも、自分の自由。一生誰にも伝えなくてもいいし、大声で宣言しても良い。そういうものだと思っています。

      すみさんはすでに自我が確立されておりますし、文章から滲み出る自信や人間性の深みが伝わります。
      私たちは”ハーフ"ではなく、日本ともうひとつ、どちらも100%合わさって200%の存在で、何にも定義されないのが強み!

      長くなってしまいましたが、すみさんが何者でもない自分という存在を受容し、ご自愛深められますように!
      このような形で愛を送り合えて嬉しいです😊

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