私は生まれた時から、何をやっても「可愛い可愛い」と母に言われ育った。大きくなった今でも、母に容姿について何かを言われた記憶は殆どない。

その影響で私は小学4〜5年生くらいまで自己評価が限りなく高く、自分のことはとびっきり可愛いと思っていた。その頃の私は髪の毛をアレンジするのが好きで、ヘアアレンジを自分でしていた。カラフルなピンとカラフルなゴムをたくさん使って、ただ好きなようにアレンジして毎日小学校に通っていた。

そんなある日、担任の先生が私の顔をじっと見つめながら言った。「自分のこと可愛いと思ってるの?」と。

当時の私にとってあまりにも衝撃的な発言だったので、その発言が本当だったのか今となっては怪しいところだが、とにかくショックだったという気持ちだけが今でも強く心に残っている。

その時、私がなんて返答したかは思い出せないが、もうそれ以降、髪の毛をアレンジして学校に行くことはなかった。幼いながらもそれが自分には似合ってなかったのだと、どうやら私は自分が思ってるより可愛くないらしい、と気付いたのはその時だったと思う。

そこから時は流れ、中学生になった。小学生より更に多感な時期となり、体も心も成長していく中で小学生の時より多くの人間と関わっていく中学生生活。

他人と容姿を比べられることなんてしょっちゅうあった。私の肌が荒れていたのを遠回しに指摘するクラスメイト、他の子より肉付きが良く胸が大きかった私をネタにするクラスメイト、思い出したらキリがないほどそれが日常で、私も次第に慣れてしまった。

それでも、だんだんと学校が憂鬱になりギリギリの出席日数で中学を卒業し、高校生になった。その頃にはもう自分は他の女の子たちより可愛くなくて、でしゃばったりしたら袋叩きにされるから、あまり目立たないようにしようという自分になっていた。

そのうち自分の容姿を他人からバカにされるのが嫌で、自分から自虐してイジられキャラに徹した。部活の影響で肌が焼けていたこと、胸が大きいこと、目が一重で小さいこと、鼻が低いこと、今思えば愛すべきコンプレックスだけれど、当時は他人から傷付けられまいと必死だった。

その頃から、どうしたら可愛くなれるのか探る日々が続いた。どうしたら他の可愛い女の子たちと同じように、みんなから可愛いと持て囃され、”選ばれる“のか。自分が可愛いと思うものを必死に模索した。色んな”可愛い”を見た。色んな”可愛い”を試した。

その過程で可愛い子たちに「いっちー!それ可愛い〜!似合うよ!」と言われたものは、たしかに評判が良く、「可愛い」と言われ慣れてなかった私は舞い上がった。でも次第に「可愛い」と言われても、しっくりこなければ可愛いとも思えないことに気づき、テンションも上がらなくなった。

みんなが言う”可愛い”ってこんなもんか、思ってたのと全然違うなと思ったのをよく覚えている。

そんなことを一人の友達にふと溢したとき、彼女は私に「あなたの”可愛い”は可愛いよ、間違ってない。」と言ってくれたのだった。たったその一言で、私は今まで悩んでいたものすべてから解放されたように感じた。可愛いと言われるよりずっと嬉しくて、自分のことを好きになれた気がした。

自分が他の多くの人たちより”可愛い”存在じゃなくても、コンプレックスだらけでも、自分の”可愛い”を身につけて、自分が好きな自分でいよう、と思った。

コンプレックスをなくしたいと泣くより、なんでこんな自分なのだろう、と自分自身を責めるより、自分なりにハグしてあげて、自分が可愛いと思うものを身につけることにした。

みんなに合わせていた柔らかい雰囲気のものを身につけるのをやめ、一番好きな黒を身につけ、メイクも濃くした。肌を隠すのをやめ、癖毛の髪の毛をアイロンするのをやめた。「ビッチみたいな格好やめなよ、モテないよ」という言葉に中指を立てる女になった。

フェミニズムが少しずつ広まり始め、他人の容姿をジャッジすること自体ナンセンスになり始めた今でも、何も考えずにジャッジしてくる人たちはたくさんいる。まだまだ外見至上主義だと思う。しかも、かなり凝り固まった観念の。

今でも、新しく知り合った人たちやSNSで送られてくるメッセージから「自分を好きになれません、自分のコンプレックスを愛することができません」と言う人たちとたくさん出会う。

その人たちに話を聞くと、共通点がある。それは「いつも他人からジャッジされ、何をしても自信がなくなってしまった」ということ。私と全く同じ理由だった。

こういう時みんな口を揃えて、自己肯定感をあげろあげろ、と言うけれど、自己肯定感は自分の力だけではどうしても上がらないときがあると思う。何より私は、今では親友だと思っている子の一言で自分を愛し始めることができたのだから。

だからこそ私が言えることは“自分がいま可愛いと思うものを身につけることが、自分を可愛いと思える、自分を好きになれる、一番簡単な方法”だということ。

もちろんそれを身につけて、嫌な言葉を投げ掛けれたりしたら、もう立ち直れないかもしれない。今でもそんな気持ちになることがたまにある。でも、それでも身につける。自分の可愛いを信じる

なぜなら、この世に必要なのはどんなことに対しても傷付かない心ではなく、傷付いても立ち直る術を知っているかどうか、心を回復させるパワーを持ち合わせているかどうか、だと思うから。

そのパワーは誰かからの嬉しい一言だったり、好きなものたちがくれる”可愛い”のパワーだったりする。例えどんなに周りが批判しようとも、私は貴方を否定しない。そしてそんな人たちが必ずいる、それをどうか忘れないでほしい。

私は可愛くない自分も許してあげたい。誰にも可愛いと言われない私なのだとしても、私は私のことを好きでいたい。選び、選ばれるという舞台から降りたところで、私は私の”可愛い”を貫きたい

たとえどんなに手を尽くして、自分のコンプレックスや自分自身のことを完全に好きになれなかったとしても、他人に決めさせることなんかしないで欲しい。貴方の美しさを他人に図らせないで欲しい。誰にも貴方をジャッジする資格なんてない、それだけは絶対だから。

スッピンで髪がボサボサでも、肌が荒れて赤くなってても、美味しいものを食べすぎて太った気がしても、消えない傷が肌に残っていても、ご飯をうまく食べれなかったとしても、泣いて一日が終わったとしても、昨日も今日も明後日も、私たちは最強に最高にイケてる。私が保証する。

  

1件のコメント

  1. ありがとうイッチー。
    たとえ、私に書いてくれてるわけでないとしても私にすごくささる言葉があった。誰かの評価のために好かれる自分を着飾るのではなく、自分の好きなものを観に纏い自分の可愛いで常にいようと思った。誰かのために顔色伺いながら生きていくのやめようと思えた。あなたの文書は素晴らしい。気持ちが伝わってくる。イッチーの人生も時には嫌になる時もあると思うけれど、その経験がこんなにも人を救う力になってる。大丈夫。きっと明るい未来と幸せと思える余裕も待ち受けてる。一緒に生き抜いてイケイケな私といつか会って欲しい!

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